音楽は共創の場、人生を織りなす力

バリー・ウェッブが、演奏家としての軌跡、技術の磨き方、音楽が人生にもたらす意義について、心に響く洞察を語る。魂のロング・インタビュー

トロンボーンとの出会い、多彩なジャンル、現代音楽に至った道、恩師グロボカールとの邂逅、そして次世代への貴重なアドバイスなど、誠実に音楽と向き合いつつ、仲間と共に歩み続けた歴史を紡ぎます。多くの人にとって、豊かな音楽体験を深め、お楽しみいただくための手がかりとなれば幸いです。(横山カイン勝巳)

バリー・ウェッブ :トロンボーンをヴィンコ・グロボカールに、指揮をコンスタンチン・ブジェアヌに師事。サントリーホール、カーネギーホール、バービカン・センター、ロイヤル・アルバート・ホールはじめ、国際的な活動を長年にわたって展開している。


――「コンサートホールは、皆さん一人ひとりの個性や音楽体験、人生経験が集まる場です。皆さんはこの特別な機会の一部なのです」 バリー・ウェッブ

 

インタビュー全編

(要約版リンクー準備中)

Q.どんなきっかけでトロンボーンを始めたのですか?

少し複雑なので、まず背景を説明させてください。最初にピアノを習い、その後トランペットを始めたのですが、実はどちらもあまり上手ではありませんでした。ロンドンのギルドホール音楽院のジュニア科で学ぶ機会も与えられましたが、すぐに自分の限界に気づかされました。ある時(確か12歳頃だったと思いますが)、トロンボーンに転向するよう勧められ、そこから私の状況は変わったのです。

最初に影響を受けたことで思いだされるのは、子供の頃よくレコードを聴いていて、特にトミー・ドーシー(その音質の良さから)や父のコレクションの他のバンドを聴くのが好きだったことです(父は本業の傍ら、ダンスバンドでトランペットを吹いていました)。

その他の影響はもっと後になって受けたと思います。まずはエセックス・ユースオーケストラ(EYO)の時期で、ピーター・ハーヴィー(完璧な音色を持ち、常に早めに席に座り、見事なスラーを奏でていたバストロンボーン奏者)の隣で演奏した時。さらに後には、素晴らしいソリストであり、オーケストラの首席奏者だったクリストファー・モワットと共演した時でした。その後、ケンブリッジ大学で、(1、2年先輩の)クリスが多くのサポートと励ましをくれました。ケンブリッジで演奏したオーケストラのレパートリーは膨大で、優れた音楽家たちとの共演は刺激的でした。私たちは、イースト・アングリアだけでなく、ロンドンの音楽大学の学生を集めた、とても素晴らしいイースト・アングリアン・スチューデント・オーケストラでも一緒に演奏し、グラハム・トリーチャーの指導の下、難易度の高いレパートリーに取り組みました。

 

 

――「その時は、将来グロボカールや後のスチュアート・デンプスターの両先生から影響を受けながら作品を学ぶ機会があるとは想像すらできませんでした バリー・ウェッブ

 

 

ここまではトロンボーン奏者について触れましたが、私たちは刺激的な指揮者の下でも演奏しました: EYOではレイモンド・レパード、後にグラハム・トリーチャー、ケンブリッジではアンドリュー・デイヴィス、デイヴィッド・アサートン、そして大編成の合唱曲ではデイヴィッド・ウィルコックスなどです。ケンブリッジでは、ヴァレーズ「オクタンドル」やマーク・エルダーとのストラヴィンスキー「兵士の物語」など、室内アンサンブルで演奏する機会もありました。これらの経験は本当に素晴らしいものでした。

同じ頃、私はベリオのトロンボーン・セクエンツァをヴィンコ・グロボカールが演奏するのを(ラジオで偶然)聴いて感銘を受け、思わずすぐに楽譜を注文しました。しかし、その楽譜を最初に一度開いた後、10年間開くことはありませんでした。その時は、将来、グロボカールや後のスチュアート・デンプスターの両先生から影響を受けながら作品を学ぶ機会があるとは想像すらできませんでした。

 

 

――「最高の音楽と最高のパフォーマンスには、観客を感動させる力があります。この真理は、あらゆる時代やスタイルの音楽に有効です」 バリー・ウェッブ

 

 

Q.なぜ現代音楽に専念しようと思ったのですか?

先の質問への私の答えからわかるように、学生の頃は何よりもオーケストラの演奏に重点を置いていました。しかし、ケンブリッジを卒業した後、オーケストラで演奏するよりもハダースフィールドで教える方が安定した職だと考え、ハダースフィールドで教職に就きました。その一方で、時折オーケストラとの共演を楽しみ、ビッグバンドの常任メンバーを務め、自分自身の金管アンサンブルを運営し、サックバットで古楽を専門に演奏するようになりました。ハダースフィールドでは、ブラスバンドの指揮もするようになりました。

その間も私は常に現代音楽に興味を持っていて、ロジャー・ヒートンが創設したノーザン・ニューミュージック・プレイヤーズで演奏するようにもなりました。この時期、ハダースフィールド現代音楽祭(HCMF)も創設され、今日に至るまで重要な国際的イベントとなっています。現代音楽は、私が活動する環境において、次第に重要な位置を占めるようになったのです。

HCMFの第2回目の主な招待客の中に、リサイタルとトロンボーンのマスタークラスを行ったヴィンコ・グロボカールがいました。これが私たちの最初の出会いで、その後、トロンボーンや現代音楽についてさまざまな話をしました。

同時に、私は指揮にも注力するようになり、ハダースフィールドの学生オーケストラを指揮する機会も与えられました。1981年の夏には、キリル・コンドラシン(彼の録音したショスタコーヴィチの交響曲第8番を私はとても尊敬していました)のもとで指揮の講習を受けるはずだったのですが、残念ながら彼はその数ヶ月前に他界してしまいました。一方、私はヴィンコ・グロボカールから、彼が(オーボエ奏者のハインツ・ホリガーとともに)1981年の夏にスイスのベルンでマスター・コースを開催することを聞いていました。そこで代わりに、私はグロボカールのコースに参加したのです!

 

 

――「特殊奏法を探求することで、通常の演奏に必要な基本奏法の理解も深まりました」 バリー・ウェッブ

 

 

Q.グロボカール氏から学んだことで印象に残っていることを教えてください。

1980年まで、私は伝統的なトロンボーンのレパートリーをごくたまにソロで演奏する程度でした。そして1980年にハダースフィールドの電子音楽スタジオのディレクターだった同僚のフィル・エリスが、バス・トロンボーンとテープのための「In Time」というとても美しい曲を私のために作曲してくれたのです。私はこの曲を中心に、バス・トロンボーンを演奏して初期のリサイタルを開きました。このような背景があって、私はベルンでヴィンコ・グロボカールに師事し始めました。

ベルンのコースは私にとって素晴らしい機会となりました。まず第一に、コースの計画が素晴らしかった。ベルンで1週間のコース、その後1ヶ月の休みをとって自宅ですべての課題に取り組み、ベルンでの2週間目に演奏の成果を得るというものでした。そして、第二には参加人数が少なかったことです。ヴィンコの金管楽器クラスには、私以外にホルン奏者が1人、その後アンサンブル・アンテルコンタンポランのチューバ奏者が最終週だけ参加しました。そのため私たち全員(2人とも)、個々に手厚い指導を受けることができたのです。

私はヴィンコと一緒にベリオのセクエンツァを詳しく勉強し、それから彼のトロンボーン作品をいくつか勉強しました。5本のトロンボーンのための「Discours II」と、演奏中に息を吸ったり吐いたりすることを交互に要求される「Res/As/Ex/Ins-pirer」です。

これらの作品は、グロボカールがケルンでトロンボーンを教えていたときに作曲したもので、特殊奏法を探求することで、通常の演奏に必要な基本奏法の理解も深まりました。

 

 

Q.これまでのキャリアで最も印象に残っている演奏や作品について教えてください。

指揮者としてもトロンボーン奏者としても、あまりにたくさんありますが、とりわけ印象に残っているのは次のようなものです。

オーケストラ指揮者としては、ベルリオーズの幻想交響曲、ドヴォルザークの交響曲第7番、ストラヴィンスキーの「春の祭典」、ウォルトンの交響曲第1番、ショスタコーヴィチの交響曲第8番、ブレントン・ブロードストックの交響曲第2番・第3番。

ハダースフィールド現代音楽祭での指揮者としては、ヴァレーズの「アルカナ」、マーク=アンソニー・タネジの「水に溺れて」、アンドリーセンの「デ・ステイル」、ベリオの「ラビリントゥスII」、ジェームズ・マクミランの「ヴェニ・ヴェニ・エマニュエル」。

トロンボーン奏者としては、藤井喬梓の「Dancing Bones」、ヴィンコ・グロボカールの複数の作品、特に「Res/As/Ex/Ins-pirer」と「Prestop II」、HCMFでのテープ、エレクトロニクス、ビデオ・ウォールを使ったデヴィッド・フェルダーの「Boxman」、リチャード・バレットの超複雑な作品「EARTH」と「basalt」。さらにその対極にあるタイ・アンウィンとスチュアート・グリーンバウムの音楽なども複数回演奏しました。そしてもちろん、横山の「レクイエム...永遠の命」です。

協奏曲を演奏することは、いつも思い出深い経験となりました。最も印象深いのは、2004年のサントリーホール・サマーフェスティバルの一環としてヴィンコ・グロボカールの指揮でライボヴィッツの「コンチェルティーノ」をサントリーホールで演奏したことでしょう。他には、リヴィウ・ダンスアヌ、ドナルド・アーブ、武満の「ファンタズマ/カントスII」の協奏曲を複数回演奏したことも印象に残っています。

また、BBC交響楽団とマイケル・フィニシーの「Red Earth」の演奏(と録音)でディジュリドゥ(オーストラリア先住民であるアボリジニの楽器 [訳者注])を演奏したことも忘れられない経験です。

また、私 Barrie Webbの「Second Skin」(ディジュリドゥ、テープ/CD、ダンサー、スライドプロジェクションのための)にも言及させて頂きたいと思います。これらは、異なるダンサーたちと何度も演奏してきましたが、最も記憶に残るバージョンは、ロンドンでの初演で、オリジナルのコンセプトも考案したダンサー Suzie Aterとの共演でした。

 

 

――「現代音楽の中には、あまり馴染みのない音楽語法や珍しい音を使うものもあるかもしれません。しかし、それで尻込みする必要はないのです」 バリー・ウェッブ

 

 

Q.日本でのプロジェクトについて教えてください。

私が初めて来日したのは1998年でした。その際、日本の若手作曲家7人のグループ(藤井喬梓、小内将人、中村寛、後藤國彦、前田克治、平野達也、横山勝巳)が、翌年の特別企画として、各自が無伴奏トロンボーン・ソロを作曲することを提案しました。この企画は1999年10月に大阪で初演され、2日後に東京で再演される形で成功裏に終わりました。

私たちは皆、このプロジェクトの記録を残さずに終わってしまうのはあまりに惜しいと考え、2000年のヨーロッパ初演に続き、ブカレストのカンタクジノ宮殿の美しいホールで特別録音を行いました。こうして、2002年にイギリスのMetierからCD「The Japan Project」が出版され、サンデー・タイムズ紙のスティーブン・ペティットによる素晴らしい批評を受けました。

The Japan Project は2024年10月に結成25周年を迎えます。同時に、私たちは愛する仲間・友人であった藤井喬梓さんを心温まる思い出と共に偲びたいと思います。

1999年以降、私は日本で他にも多くのプロジェクトに関わってきました。中でも、秋吉台サマーコース&フェスティバル、またサントリーホール・サマーフェスティバルが挙げられるでしょう。後者においては東京フィルハーモニー交響楽団と共にソリストとして演奏しましたが、この演奏はレイボヴィッツの《コンチェルティーノ》の2回目の演奏で、NHKによって録音・放送されました(この公演の指揮を務めたグロボカールは、1963年に初演を行いました)。

また、東京音楽大学、藝大、国立、島根の各大学でリサイタルやマスタークラスを行っています。

2015年には作曲家グループ「PATH」とのプロジェクトに参画し、徳永崇、渡辺俊哉、木下正道、星谷丈生の新作(日本初演)、およびベリオ、クシェネクの現代音楽の古典を演奏しました。また同年、私は東京で開催された新世代アートフェスティバルにも出演し、小内将人、向井航、黒田崇宏の新作を初演、ジョナサン・ハーヴェイの「リチェルカーレ・ウナ・メロディア」のトロンボーン版を日本初演しました

そしてもちろん、2016年に東京と高知で開催されたジャパン・プロジェクト・コンサートでは、東日本大震災から5年という節目に、横山の「レクイエム...永遠の命へ」を初演しました。

 

 

Q.現在使用されている楽器について教えてください。

20年ほど前、新しい楽器を買おうと思ったのです。それまで長年 CONN (コーン)の楽器を吹いていましたので、変化を受け入れ、いろいろなメーカーの楽器を試しました。ShiresとMicheal Rathの2つに絞り、それぞれをリサイタルや協奏曲の演奏を含めて1ヶ月間試奏しました。どちらも素晴らしい出来で、甲乙つけがたかったのですが、結局 Rathを選びました。

その時以来、彼らのR4モデルで演奏しています。2016年には、横山さんの「レクイエム」の初演のために赤と黒の特別な楽器を制作してくれました。横山さんとの話し合いの中で、この配色が特別な雰囲気を醸し出し、「レクイエム」のさまざまな側面を引き立てているのではないかと言う意見で一致しました。現代音楽の演奏ではこれを使い続けていますが、クラシックの演奏では別のものを使っています。

 

 

――「楽譜の細部を徹底的に探ることも極めて重要です」 バリー・ウェッブ

 

 

Q.今度のリサイタルについて教えてください。

2024年10月9日、早稲田の東京コンサーツで、横山カイン勝巳とジョン・ケージの作品を演奏します。

横山は2011年の東日本大震災の犠牲者を追悼して、トロンボーン・ソロのための「レクイエム...永遠の命へ」を作曲しました。作曲に数年を費やしたこの作品の初演を、悲劇から5年目の2011年3月11日に東京で行いました。横山のトロンボーンのための最新作も演奏します「挽歌― 世界の終わりは蝶の夢の中にしかない」です。

そして、2作品の間にジョン・ケージの「龍安寺」を演奏します。これはジョン・ケージが1980年代初頭に訪れた京都の龍安寺にちなんで1985年に作曲した作品です。打楽器の吉原すみれさんとの共演を今から楽しみにしています。

 

 

Q.ジョン・ケージの「龍安寺」の演奏面について教えてください。

ジョン・ケージは「音楽における不確定性のパイオニア」とみなされており、彼の作曲の多くは演奏の側面を偶然性に委ねています。「龍安寺」では、トロンボーンのソロと打楽器のオブリガート伴奏は独立して進行し、完全な楽譜はありません。

ソロそのものは8つの「歌」の連なりで構成されています。それぞれの「歌」は2ページを占め、各ページには2つの長方形の枠・システムがあります。それぞれの長方形の中に、ケージは自身のコレクションから15個の石の外周の一部をなぞった線を描きました。出来上がった曲線は、指定された音域内でさまざまなグリッサンドという形で演奏されます。これらの音域は、トロンボーンの極端なペダル音域(ピアノの最低音を思い浮かべてください)を探求するものです。

 

 

――「リハーサルに費やす時間、またそれ以外の時間でも、共に成長し、共通の芸術的目標を追求して絆を深め、友情を育むという社会的側面も非常に重要だと私は考えています」 バリー・ウェッブ

 

 

Q.横山カイン勝巳の作品についてお聞かせください。

現代音楽に関わっていると、国や作曲家グループ、個人と多くのパートナーシップを結び、永続的な友情が生まれます。横山さんとの最初のコラボレーションは、1999年の The Japan Project の一環で、彼は「Traces II」を作曲しました。

それ以来、彼は私のためにさらに3つの作品を作曲してくれました。「Broken Branches」(2001年)は、「Traces II」を作曲する際に廃棄された素材に基づいています。「レクイエム...永遠の命へ」(2011-2015)は、2011年の東日本大震災の犠牲者を悼んで作曲されました。「挽歌― 世界の終わりは蝶の夢の中にしかない」は2021年末に完成しました。この作品について、そして作曲家自身の作曲へのアプローチについて、作曲家が次のように語ってくれています:

ある日、私は蝶の夢を見た。それは自己言及的な夢だった。「蝶の夢の中で、無数の蝶が空に向かって飛んでいく」このイメージは、他のイメージと絡み合いながら大きくなり始めた。そのメインとなったのが、寺山修司の最後の詩「懐かしのわが家」だった。

その最後の段落を引用し、蝶の夢のイメージと組み合わせてサブタイトルにアレンジした。この詩では、寺山は(他の詩とは違って)ストレートなレトリックの戦略を用いており、「内側から成長する」という一節が含まれている。構成やスキームを先験的に決めるのではなく、どんな素材にもそれ自身の意志と生命があるという前提に立ち、素材そのものから考えることを意図的に試みた。それぞれの音素材が本来持っている野性の命をできるだけ新鮮に保つために、トロンボーンの拡張奏法を多用した。

 

 

――「私は常に自分の欠点を強く意識しています」 バリー・ウェッブ

 

 

Q.ご自身の「超絶テクニック」を磨く秘訣は何ですか?

お褒めの言葉をありがとうございます。でも、私は常に自分の欠点を強く意識しています。

多くの苦しみ、自信喪失、犠牲もその過程の一部です。演奏の準備には、常に技術的な基本に集中し、最高の音楽的結果をもたらすための技術的な向上を追求することが含まれます。同時に、楽譜の細部を徹底的に探ることも極めて重要です。

10月の本番に向けて横山さんの「レクイエム」に新たに取り組んでいる今、そのことを強く意識しています。

 

 

Q.若い音楽家へのアドバイスはありますか?

自分の若い頃の経験を振り返ってみると、一緒に音楽を作ることはとても楽しいことでした。加えて、楽器を演奏する技術的な側面に取り組むには、少なくとも専門家の指導を受けることが重要です。

リハーサルに費やす時間、またそれ以外の時間でも、共に成長し、共通の芸術的目標を追求して絆を深め、友情を育むという社会的側面も非常に重要だと私は考えています。この共同作業と友情の精神は、いつまでも私の中に残っています。

ぜひこうした経験を楽しんでください。それがどこにつながるか、わからないのですから。

 

 

――「最高の音楽と最高のパフォーマンスには、観客を感動させる力があります。この真理は、あらゆる時代やスタイルの音楽に有効です」 バリー・ウェッブ

 

 

ありがとうございます。では最後に、聴衆の皆さまにメッセージをお願いします。

最高の音楽と最高のパフォーマンスには、観客を感動させる力があります。この真理は、あらゆる時代やスタイルの音楽に有効です。現代音楽の中には、あまり馴染みのない音楽語法や珍しい音を使うものもあるかもしれません。しかし、それで尻込みする必要はないのです。現代音楽を鑑賞するのに、訓練された音楽家である必要はないのです。

もちろん、作曲の背景や「意味」についてプログラム・ノートから知ることは興味深いことです…ですので演奏の前にはお読み頂くことをお勧めします!今回のリサイタルの3曲も、それぞれに語るべき物語を持っています。

しかし、一旦演奏が始まれば、演奏家は音だけでコミュニケーションをとり、リアルタイムで物語に命を吹き込み、聴衆に意味のある体験を届けることを目指します。

それに対する聴き手の皆さんの反応は普遍的なものかもしれませんし、個人的なものかもしれません。コンサートホールは、皆さん一人ひとりの個性や音楽体験、人生経験が集まる場です。皆さんはこの特別な機会の一部なのです。

 

 

 

2024年10月9日(水)19:00-  バリー・ウェッブ トロンボーンリサイタル by 東京コンサーツ・ラボ が開催されます。ぜひご注目ください。